さよならポエジー オサキアユという文豪が歌う音楽のこと

オサキアユという男がいる。

バンド、さよならポエジーのギターボーカルだ。
僕は彼の言葉と音楽に魅せられてしょうがない。掴まれた心の興奮がいつまでも冷めやらない。
さよならポエジーに出会えて良かったと心の底から思う。
分かる人だけ分かってくれればいい。
僕の心には刺さっている。それだけは間違いない。

1stアルバム「前線に告ぐ」から2年、2ndアルバム「遅くなる帰還」を今年リリースした彼ら。
二月の中を / Februaryはそのアルバムのリード曲だ。
この曲は遅くなる帰還を象徴する曲だと思っている。
前線に告ぐではアップテンポな激しい曲が多かったが、今回のアルバムはアルペジオが目立ったり音色も少し優しめだったりと、どこか憂いを帯びた切ない一枚になっている。
このサウンドが今の彼らだ。
前作よりも分かりやすく、届きやすく、響きやすくなっている。
バンドが前に進んでいるような気がして、その変化が僕は嬉しい。

誰にも頷かなくていいと何度も繰り返したり、時代よ僕を選んでくれないかと繰り返したり。
2年前とはまた違う歌を歌っているなと。
違う歌だけど歌詞の良さもメロディの良さも変わってないなと。
遅くなる帰還を聞いてそんなことを感じた。




さよならポエジーが刺さる理由

さよならポエジーを褒める人は皆歌詞が良いという。
その通りだと思う。
オサキアユにしか書けない歌詞。
よくある難しい言葉を羅列した歌詞ではなく、きちんと引き込まれる言葉たちだ。
押韻も上手いし詞を聞いて浮かぶ情景も曲ごとにちゃんと違う。
自分たちから遠いどこかを書いているわけではなくて、日常を切り取った言葉。
だから惹かれるんだろうなあ。
その言葉選びの数々を、僕たちは文豪と呼ばざるを得ない。

彼らのどこが好きなのと僕が聞かれたら、それはまあ全てと答えるしかない。
もっと具体的に魅力を伝えたいんだけど、全部いいんだ。ほんとに。

良い音楽っていうのは人の数だけ存在して、個人によってその音楽は違うと思う。
その前提があった上でもなお、さよならポエジーは良い音楽だと言いたい。
でも全員に対して刺さる音楽ではないんだろうなという認識もある。
それはそれでいいけど、しかしもう少し彼らのフォロワーが増えてもいいかなと思っている。
僕がそうだったように、さよならポエジーが刺さる人間ってのは絶対数世の中にいるはずなんだ。
今よりも多くの人に彼らを知ってほしい。




さよならポエジーはそのキャリアに対して曲数は少ない。
ライブでも同じ曲を何度もやっている。
商業的にはコンスタントにアルバムをリリース出来たほうがいいに決まってるし、リスナー的にも新譜は待ち遠しいものだ。
でも彼らの曲は繰り返し聞きたくなる曲だと思う。
何年でも同じアルバムを聞いて新譜を楽しみにしていられた。
それは曲のクオリティが高い証拠だ。
前線に告ぐも遅くなる帰還も全部良かった。全曲に魂がこもっていて、全曲カッコいいんだ。
そういうバンドが居てもいいじゃん。そういうバンドが居てほしいじゃん。

彼らは全く着飾ってなくて、音楽に真摯なのが伝わってくる。
だから僕は彼らに付いていきたいしその歌をいつまでも聞いていたい。
オサキアユは僕の中でカリスマ的存在で憧れではあるんだけど、でも彼はどこか等身大なんだ。
そういうところがさよならポエジーの魅力のひとつなのかもな。

さよならポエジーは間違いなく良い音楽だ。
オサキアユの歌に何かを感じられる感性を持つ人のことが僕はきっと好きです。

それでは。

オモテ

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