僕の一番大切なバンド QOOLANDの話を聞いてほしい。

QOOLANDの音楽に救われてきた。
2018年4月7日、彼らは新宿で解散した。
この年が終わる前に書き残しておかなきゃなと思ったんです。大切なバンドのこと。

DownloadというアルバムでQOOLANDに出会った。
2011年の結成当初、彼らは5曲入りのアルバムをmp3で無料配布していた。
今でこそApple Musicなどで配布すれば世界中誰でもインディーズバンドの曲を聞けるが、数年前は地方に住んでいたら駆け出しのバンドの音源なんてまず入手できなかった。
そんな中QOOLANDは無料配信という手段をとっていた。しかもその曲数は最終的には10曲にもなった。

バンドをやっていないと実感できないかもしれないが、「バンドで曲を録る」という作業には金がかかる。そこそこかかる。
バンドで曲を録音したらCDをプレスして、売って、採算をとるのが普通だ。
QOOLANDはそこを無視して、まずは聞いてもらうことを優先した。金は後からついてくることを平井拓郎は知っていた。

面白い人達だなと思った。
宅録で全て完結できるヒップホップ界隈ではアルバムを配布しているのはよく見ていたが、スタジオまで行って録音しなければならないバンドという形態でそんなことをしている人は知らなかった。
興味が湧いて、アルバムをダウンロードしてみた。

ツインタッピングをするバンドだった。

僕はその音の虜になった。
リードギターがタッピングをするバンドはたくさん知っていた。でも、ギターボーカルがタッピングをするバンドは知らなかった。
今も彼ら以外は思いつかない。
タッピングの音色が初期のQOOLANDの重要なキャラクターだ。

広い広いインターネットの海で、よく出会えたなと思う。
僕は当時、北海道は札幌に住んでいた。
新宿を拠点に活動しているQOOLANDのメンバーとは絶対にすれ違わない街だ。
インターネットだったからこそ、Downloadというアルバムを配信してくれていたからこそ、出会えたバンドだ。

彼らに出会ってすぐに、「毎日弾こうテレキャスター」というライブ会場で手売りしていたミニアルバムを札幌まで郵送してもらった。
平井拓郎の決して綺麗とは言えない字で宛先が書かれた封筒を開くとき、とても高揚していた。
QOOLANDはもう既に僕のヒーローになっていた。
彼らから遠く離れた札幌という街で、彼らの歌を聞き続けた。




2013年、QOOLANDは「それでも弾こうテレキャスター」と題して初めての全国流通盤をリリースした。
タワレコやHMVに彼らのアルバムが並ぶのはとても嬉しかった。
1年間狂ったようにQOOLANDを聞いていた僕はもちろん発売日に新譜を手に入れた。

小学生の頃、BUMP OF CHICKENに出会って以来の熱狂ぶりだった。
僕にとっては藤原基央も平井拓郎も同じぐらいのスターになった。

なぜそんなにもこのバンドにハマったのか。

もちろんタッピングなどのオリジナリティ溢れるサウンドもそうだが、平井の書く歌詞が大きな要因だと思う。

彼は彼にしか書けない歌詞を書く。

平井はQOOLANDを「生活のことを歌うバンド」と言っていた。
彼自身の日常や、はたまた漫画や小説の人物の日常や、そういう類のものを切り取って音楽を作っていた。
勝つまでは戦争はヒカルの碁の歌だし、白夜行は東野圭吾の作品だし、ブルーアルバムは平井拓郎自身の歌だ。
ストーリー性のある歌詞を書くバンドは多くあれど、平井が書くそれには敵わない。

彼の文才は本物だ。とにかく言葉選びやその遊び方・魅せ方が上手い。

「さよなら佐為」最期で最高の碁が打てたなら 耐えられない痛い身体 進藤と重なって

こんなサビを書けるのは間違いなく日本に平井拓郎しかいない。書けてたまるか。同じ能力を持っている人がもしいれば、そいつは絶対に売れる。
そしてこの1節はQOOLANDにとっても大切なものになった。
勝つまでが戦争という1曲が、彼らをライブハウスからひたちなかのステージへと押し上げた。

RO69JACKというコンテストで優勝した彼らはROCK IN JAPAN FESTIVALに出場した。

もちろん嬉しかった。
自分がQOOLANDに感じた「カッコいい」という感覚は間違ってなかったんだなと思った。
QOOLANDが少しずつ大きくなっていくのを、札幌から見ていた。

2014年と2015年の半分、彼らは大人と手を組んで活動することになった。
デカいコンテストで優勝したバンドだ。注目されて当然だと思う。
でも、QOOLANDはここで躓く。

この時期に書かれた曲ももちろんどれも好きだ。
でも彼らは苦しんでいた。

バンドと会社が上手くいかないなんてのはよくある話だ。
レーベルを移籍したり、はたまた自分で立ち上げたりするバンドの数だけ、僕らには見えないいざこざが存在しているのだ。
QOOLANDも例に漏れずそうだった。
この頃、本当にやりたい音楽をバンドで出来ていたのかは分からない。
音楽を作る・プレイすることに関してもそうだが、それ以外の部分でも価値観の違いが大きくなりすぎていたと語っている。
バンドは楽器を持っていない時間の方がはるかに長い。だからこそ、その部分を大切にしなければならない。

所属したレーベルを去る前に、叫んでよ新宿というシングルがリリースされた。
「東京都新宿区から来ました、QOOLANDというバンドです」とライブで挨拶をしていた彼ら。新宿という街を大切にしていた。
サウンドにQOOLANDらしさもあるし、誰にでも分かるキャッチーなサビだし、これは売れると確信した。歌詞もしっかりと彼らの生活を切り取ったものだった。

でも、売れなかった。
プロモーションに失敗した。

ミュージックビデオを出すはずだった。
その監督が素材を持ったまま失踪した。

安いフィクションでも採用しないようなシナリオだ。
しかし実際に起きている。

MV撮影を依頼するときの代金は先払いなのだと彼らを見て初めて知った。まあ考えてみれば当たり前ではあるが。
再度映像作製を依頼するような金銭的余裕はインディーズバンドにはもちろん無く、本人達による弾いてみた動画がMVの代替となった。
それはプロモーションとしては弱すぎた。
本人達も、スタッフも、ファンも全員悔しい結果だったろう。
僕はこんなにもいい曲の再生回数が何故伸びないのかと悲しくなった。

大人を離れてまた自分達で進み始めた彼らはクラウドファンディングを使ってアルバムを作った。
目の前にある大切なものが見えなくなっていたと語っていた。近くにいる大切な人たちのためにCOME TOGETHERを作った。
自分達の音楽を応援してくれる人と作るアルバムは特別なものになったと言っていた。

どの曲もアレンジがシンプルになっていた。
QOOLANDの曲は構成も複雑だし各パートはかなりテクニカルなフレーズも演奏していた。
でも4人は伝わりやすさを重視したんだろう。伝えることに重点を置いたQOOLANDの曲はどれも強かった。このアルバムは彼らのキャリアで1番のアルバムだと僕は思う。

アルバムの中に、ある事無い事という曲がある。
この曲の歌詞には平井拓郎の、QOOLANDの歌いたいことがこれ以上なく詰まっている。

QOOLANDは「終わること」をちゃんと歌ったバンドだ。
おしまいはいつか来る、そう常に歌ってきた。
明るい未来を歌うのは簡単だが、現実はそうもいかない。
楽しいことは続かないし、裏切りもある。人はしっかりといつか死ぬ。
「万物は絶対に離れていく、言えることは幾つもない でもね」と平井拓郎は書いた。
でもね、と歌える平井さんの人間臭さが僕は好きだ。
終わりが来ることを認めていてもなお、僕たちは「でも」と言いたくなってしまう。
QOOLANDはそういうことを歌うバンドなんだ。だから好きになった。

COME TOGETHERのリリースツアーで僕は初めてQOOLANDのライブを見た。
数年間ファンだったのにライブに行ったことなかったのかよ、と思われるかもしれないが、僕は彼らを初めて目撃するのは札幌のライブハウスで、と決めていた。そこには言葉にできないこだわりが有った。
COME TOGETHERのリリース時には進学のため北海道を離れていたが、ライブのために故郷へ戻った。

憧れていた4人が確かにそこにいた。純さんからもらったセットリストは一生の宝物だ。
彼らが4人で北の大地に降り立ったのはこのツアー1度だけだ。物理的に遠いから仕方ない。海を渡ることはバンドマンにとって簡単ではない。
そして僕がQOOLANDのライブに行くのはこの公演と解散公演だけだ。
ライブハウスに行かなくても、愛していた。
もし東京に住んでいたらもう少し足を運べただろうが、ifの話をしても仕方ない。たった2回のライブだが、確実に目と耳に焼き付いている。
僕にはそれで十分だった。




2016年冬、メジャーデビュー。
インディーズでもバンドは出来る。メジャーに行けばしがらむ。
でも4人が選んだなら応援したいと思った。
デカいステージを目指していくんだな、という意思を受け取った。

ずっと、大きいバンドになることを願っていた。
規模が大きくなればメンバーの生活も安定するし、音楽にも集中できるだろう。
バンドマンに金銭的問題がつきまとうのは知っていたから、QOOLANDこそはブレイクして良い生活を送って欲しいと思っていた。
それにはメジャーレーベルが1番の近道であることは間違いない。
結成当初から見ているバンドがその一歩を踏み出すのは少しだけくすぐったい気持ちがした。

メジャーで1年過ごして、彼らは2枚のミニアルバムをリリースした。
4人以外にも曲に携わる人が増えたなあ、と聞いていて思った。
もちろんそれがプラスに働いている曲もあるし、QOOLANDの良さ無くなってない?って曲もあった。
でもまだ平井は同じことを歌っていた。どんどんシンプルに、伝わりやすく、しかし彼の言葉で、「日常」と「終わること」を歌っていた。
それだけで僕には十分だった。相変わらずヒーローだった。
彼らがどんなステージまで行けるのか、楽しみに見ていた。

そんな最中、解散発表があった。
2018年春、どうやらQOOLANDは終わるらしかった。
メンバーを入れ替えて続行する案もあったようだが、彼らは彼ららしく終止符を打つことにした。
それがQOOLANDがずっと歌っていたことだった。
彼らは最期の場所に新宿を選んだ。

今思い返してもラストライブは良いライブだった。
We are QOOLANDと題されたそのライブでは新旧の曲を織り交ぜて35曲演奏された。
大切な曲ばかりで、ライブを見て久しぶりに泣いてしまった。長年のヒーローが居なくなってしまうのはやはり寂しい。
QOOLANDは僕にとって、あの場に居た人間にとって、あまりにも大切だった。

「The Beatlesもoasisも解散ライブは出来なかった。解散ライブをすることは難しい。それが出来るバンドを作って良かった。」
そう平井は語っていた。
終われることの美しさがそこにはあった。

全部いつかは終わるし無くなる。だからこそ今を大切に。
QOOLANDが教えてくれたことだ。




もしQOOLANDが武道館でライブをするバンドになっていたら。
もしQOOLANDのCDが100万枚売れていたら。
もしかしたら、QOOLANDはもう少しだけ続いていたかもしれない。
解散の理由はファンには直接は分からないけど、そんな気がする。
じゃあ僕には何が出来るのか。何が出来たのか。

思いついたのがブログだった。
僕は確かに路地裏音楽戦争や地下室タイムズで色々なバンドに出会ってきた。そこで好きになったバンドもたくさんある。
僕だけじゃないはずだ。色んなリスナーが文字を媒介にして音楽を知っている。ネットや雑誌を頼っている。
だったら僕も書こうと思った。
僕の好きなバンドを、みんなにも好きになってほしかった。
QOOLANDってバンドをみんなにも知ってほしかった。

平井さんは解散後に言っていた。QOOLANDも時間が経てばすぐに忘れられていくだろうと。それで良いと。
僕はあなたの歌、未だに聞いてるよ。
今までの人生にも、これからの人生にも、寄り添ってくれる音楽を作ってくれてありがとう。

1番大切なバンド、QOOLANDの話でした。

それでは。

オモテ

音楽について思うところを書いています。